最終回 うつが治った!
カウンセラー養成講座を無事に終えて後は資格試験を受けるだけ。
そんなある日、2月のことでした。
アルバイト先の写真現像所が倒産してしまいました。
さあ、困った。
生活費はどうする?
カウンセラー資格をとったとして、カウンセラーを続ける?
それとも再就職する?
そんなこんなであたふたと動いていたのですが、私はこのとき「うつ」のことをほとんど意識しないで動いていたと思います。
風邪や腹痛のように、今まで苦しかった症状が、ある瞬間を境にぴったりと治まるのとは違い、気がついたら知らないうちに抜け出したというか、治ったというか。
人から聞いた話ですが、うつの寛解は「梅雨明け」に似ているそうです。
梅雨明けは「あれ?空けたのかな?いつ空けたんだろう?気づかなかったな?」感じですね。
思えば、うつの発症から2年半かかっていました。
今にして思い返せば、入院が大きな転換点になったのだと思います。
ここで徹底的に休養したこと。
そのあと無理に働かず、7割くらいの力でもやれる仕事をしていたこと
(リハビリ期をうまく過ごせたこと)
そして、なによりも「適当」に「ちゃらんぽらん」に物事を考えるようになったのが大きかったかもしれません。
カウンセラーの資格取得後、私は横須賀の家庭児童相談室で修行をはじめました
「心の相談室 りんどう」の解説はそれから7年後のことでした。
長らく、ご愛読ありがとうございました。
心の相談室 りんどう
馬場健一
その28 カウンセラー養成講座
アルバイトをはじめて半年後、私は産業カウンセラー協会の「カウンセラー養成講座」を受講しはじめました。脱サラして1年後、やっと念願かないカウンセリングの技法を学べるようになったのです。
毎週1回、日曜日に一日かけてロールプレイングをやり、カウンセリングの理論を学びます。
クラスは老若男女、さまざまま世代の人が集まっていて楽しいものでした。
退院して半年以上すぎていたので、もうこの頃になると、「自分がうつだ」ということはほとんど意識しないようになっていました。
このころは、月に1回は通院し、処方された薬はしっかりと服用していました。
「せっかくここまで回復したのに、またぶり返したら嫌だなあ」と思いがあったのと、「薬を辞めるのが恐かった」という気持もあったのです。
自分の場合はですが、薬を飲むことで「薬に依存している」という感覚はありませんでした。
「回復にしたがって、徐々に薬の成分を薄くしていく。薄くなりきったところで薬をやめればいい」という医師の説明もあり薬を服用し続けるということに対して心配はなかったのです。
むしろ「薬を服用しているからこそうつの再発を防ぎ、日常生活のパフォーマンスを維持できる」と思っていました。
養成講座を受講しながら、講座の帰りには受講生仲間とカフェでだべり、資格試験に向けてみんなで勉強したりして、受講生であった時期は非常に楽しく、充実していました。
このまま無事に過ごせれば良かったんですが・・・
養成講座終了後、なんとアルバイト先が倒産してしまったんです。
附
服用していた薬は、以後どんどん成分を薄くしてもらい、3年後にやめました。
辞めるタイミングは「もう薬なしでも大丈夫かな?」という自信が出てきたころだと思います。
ただし、薬を辞めるときは必ず医師と相談のうえやめるべきです。勝手に服用をやめてはいけません。
その27 アルバイトをはじめる
アルバイト先として、私は写真の現像所での宅配ドライバーを選びました。
当時はまだデジカメが今ほど普及しておらず、写真をとったら、フィルムをクリーニング屋やタバコ屋などの集配所に持ち込んで、そこで現像してもらうのが一般的でした。
私はそうしたフィルムを回収し、現像所に運び、完成した写真を集配所に配達するのが仕事でした。
乗用車で一日で100キロ程度走り、80軒ほど顧客を回ります。
お客さんの数は多いですが、写真の受け渡しだけですので、ストレスはほとんどありません。
毎日同じ決められたコースを、同じ道順で走るので仕事は簡単なはずだったのですが・・・
初めて2週間くらいは、道を覚えるのに非常に苦労しました。
以前よりも物覚えが悪くなり、集中力や注意力が落ちているような気がしました。
思えばこれは当然のことで、体力や気力の回復程度は元気なときの7割程度だったからです。
退院して、そのあと二月補とゴロゴロしていたからといって、ベストの体調にもどるには時間が足りないのです。
そのあと年単位の時間をかけて、じっくりとリハビリを続けなければなりません。
アルバイト復帰当時の体力で、正社員として働いていた時代と同じ量の仕事をこなしていたら、おそらくうつが再発していたでしょう。
しかし、当時のアルバイトの仕事の負担は、正社員時代の仕事の負担と比べると半分くらいのものだったと思います。
負担が半分だったからこそ、体力が7割程度でも続けていくことができたのです。
最初は結構きつく感じたのですが、ひと月もするとずいぶんゆとりを感じることができるようになりました。
体力と気力がずいぶん回復してきたのでしょう。
仕事になれ、店先で軽口をたたき、運転中にラジオを聴いたりして、ときには番組のトークにゲラゲラ笑ったり・・・
休まず継続してアルバイトを続けたことがうつからのリハビリ期には大きな自信につながりました。また、よく笑うようにもなってきたと思います。
ささやかなことでも「できる」という感覚をもつこと。
ささやかなことでも「できる」という感覚を少しづつでも積み上げること。
これがリハビリ期には大切なのかもしれません。
その26 退院して、今後はどうする?
入院してだいたいひと月半くらいだったでしょうか、無事に退院することになりました。
退院したけれども、特にやることなどありません。
仕事はすでに辞めてしまったし・・・
今更大学院を受験する元気もないし・・・
カウンセラーはどうしよう・・・あきらめようか・・・営業として再就職しようか・・・
退院当時はなんだか力が抜けて、別に将来に向けて焦る気持ちがあるわけでもなく、家で二月ほどゴロゴロしながら、漠然と将来のことを考えていました。
うつから抜け出しはじめると、ゴロゴロしてリラックスできる時間を安心して過ごせるようになるようです。また、リラックスした時間に慣れてくると、逆に思考回路もよく回り、冷静な判断もできるような気がします。
思えばうつ状態にあったときは、常に何かせかされているような気がしました。
じっとしていることが辛いというか、何か動いていないとダメになる気がしていたのです。
休養中に休むことができず動き回ったり、回復する前に焦って復職して体調を崩したり・・
そういった、「負のスパイラル」から抜け出すことができるようになったのかもしれません。
私は再度、カウンセラーという職業について調べ始めました。
臨床心理士のほかにどのような資格があるのか、カウンセラーとして食べていくにはどのような方法があるのか・・
時間はたっぷりとあるので、ゆっくりと考えることができました。
結論は二つ。
半年後に開講する産業カウンセラー協会の「カウンセラー養成講座」を受講すること。
とりあえず正社員をめざすのではなく、アルバイトで収入をえること。
私はとりあえずアルバイトを探すことにしました。
その25 一時帰宅とセカンドオピニオン
もうすぐ退院という日が近づいてくると、「一時帰宅」の許可がでます。
二泊三日で家に帰るのです。
病院からでて歩いていると、体に力が入らなくなっているのがわかります。
「ああ、一日中寝ていると、こんなにも体力が低下してくるんだな」
「元気があたりまえ、体力があってあたりまえ」という自信のようなものが揺らいでくるのを感じました。
子供は父がいると嬉しいらしく、くっついて歩き離れません。それは父として嬉しいのですが、なんだかとっても疲れてしまいます。体力の衰えを実感してしまいました。
でも疲労を感じるのは当たり前の感覚なんですよね。
また、病院内でセカンドオピニオンを求めたのもこの頃でした。
「なぜ、ガムシャラに働いてはいけないのか」
そこは、やはり納得できない部分がどうしてもあったのです。
「『ちゃらんぽらん』になってください。『ちゃらんぽらん』に生活するくらいがちょうどよい加減なのですよ。あなたの主治医の先生はそれを伝えたいのだと思います」
ちゃらんぽらん・・・
なんだか妙に腑におちました。
実際、一時帰宅をしても力は入らないし、いくら力んでも思うように力を発揮できない・・・
あきらめがついたというか、ダラダラとした生活に体がになじんだというか・・・
それ以後は病院内の生活もだいぶ落ち着いていました。
そんな日々をすごしつつ、退院の日を迎えます。
その24 医師と闘う
医師の説明は続きます。
「今までは無理に無理を重ねて、がむしゃらに働いてきたのでしょう。これからは仕事をセーブして、力の抜き方を覚えていかないと回復は難しいと思います」
私は無言で医師の説明を聞いていました。
診察を終えてベッドに横になっていたのですが、ふつふつと怒りが湧いてきました。
それまでの自分の「生き方」や「頑張り」を否定されたような気がしたのです。
体力的にしんどくても、どんなに辛いことがあっても、自分は仕事に関しては手を抜かず、全力を尽くしてきた。どんな時でも根を上げず、常に求められる結果を出してきた。
自分にはそんなプライドがありました。
そのプライドを否定されて、平静な気分ではいられません。
「あの医者と闘おう」
決意を固めて、私は看護婦さんを通じて、医師に面会を求めました。
これからどんな治療をしていくのか、なんでがむしゃらに仕事をしてはいけないのか
それまでため込んでいた怒りと不満を医師にぶつけてみたのです。
医師は平然として説明します。
「うつから回復したとしても、回復後にまた無理をしてしまった挙句に体調を崩し、また病院に舞い戻ってしまう人が多いんです。以前のように無理を重ねていたら、回復しては病院に戻りの繰り返しになってしまいますよ。」
私は反論らしい反論もできずに、そのままベッドに戻りふて寝しました。
「闘う」といっても何もできず、何か釈然としない思いだけが私の中に残りました。
その23 カウンセラーを諦める?
入院中の楽しみは喫煙室でタバコを吸うこと。入院友達もでき、いろいろな話をしました。
躁うつ病で入退院を繰り返す方
自殺未遂を繰り返す方
病院内で明らかに普通ではない行動を繰り返す方
こうした人たちと接していて、いわゆる「心理学」の勉強もなんだか虚しくバカバカしく思えてきました。
心理学と言ったところで、「病」のリアルな現実の前では無力であり、自分がそれまで「勉強」してきた知識などほとんど役にはたたないことを感じ始めていたのです。
注 これは中途半端に勉強をしていた者の感想であって、本格的に勉強を続けてきた方は実際に治療の場でも力を発揮して活躍しておられます。
体力はだいぶ回復してきたのですが、「退院してからどうする」という問いに答えはありません。
と言って、退院したあと再度大学院を受験する気持ちにはなれませんでした。すでに会社を辞めているし、何をして食べていこうか?
そんなある日、担当の医師から言われました。
「臨床心理士の資格を持っている人は実はどこにでもいますし、うつなどを経験したの中にもそうした経験を肥やしにしてカウンセラーを目指す人はたくさんいます。でもカウンセラーになるなんてお勧めできません。退院したら、いままでよりも負担が軽めの仕事に就いたほうがいいでしょう。」
私の目はテンになっていたと思います。