その19 人生の方向性を変えてみる
休職も三度目になると、もういい加減「あきらめがつく」というか、「投げやりになる」というか・・
「もう営業としては使ってはもらえないだろうな」ということが自分でもわかりました。
休職中は自暴自棄になっていたと思います。
もはや家でじっとしていればよかったのでしょうが、朝から家を出てほっつき歩いていました。
こんな調子では回復するわけがないのです。
それはわかっているのですが、「もう営業はできないかもしれない」という悔しさやら、憤りやらでじっとしてはおられなかったのです。
「やっと念願の部署につけたのに・・・」
「今までずっと頑張ってきたのに・・・」
「体調の悪さはいつまで続くのだろう・・・・」
「もう治らないのかな・・・」
不安やら憤りやら情けなさやらで、日々暗い海の底で過ごしているような気分でした。
「もう会社をやめてしまおうか。」
「でも辞めたところでアテはないし・・・」
そんなある日、ふと本屋に立ち寄って一冊の本を見つけます。
「心をケアする仕事がしたい」というタイトルでした。
この本との出会いが私の運命を大きく変えていくことになります。
それはいい方向ではありません。
極めてリスクの高い、無謀な方向へ走り出しはじめたのです。
その18 ボロボロでも働く
再度の復帰を果たしたものの、ものの1週間で具合が悪くなりました。
うつ状態が悪くなっているのがはっきり実感できました。
朝、「外回り」と称して会社を出たら、すぐ人目につかない公園に直行、公園の横に車をとめてそこで午前10時くらいから車の中で昼寝をします。
得意先のリストはありましたので、ときたま電話がかかってきたら対応るだけ、夕方近くまで車で寝たら、夕方
何食わぬ顔をして会社に戻ります。
もはやこんな状態では、仕事を放棄しているのと変わりません。
今にして思えばものすごくおかしなことをしていたのですが、当時はそんなことに思いを巡らせるような余裕はありませんでした。
うつ状態のときには元気でいたときには絶対やらなかった非常識な言動をとったり筋の通らない、理不尽な行動をとったりすることがあります。
人間が「別人化」してしまうこともあるのです。
このときの私がちょうどこんな感じだったのでしょう。
仕事をさぼっていることは周囲もうすうす気がついていたのでしょう。
わたしはだんだん職場に「居づらさ」を感じていました。
そして私は3度目の休職に入りました。
その17 仕事へのしがみつき
その17 仕事へのしがみつき
2度目の休職中、上司が医師を訪ねてくれたようです。
「体調がずいぶん悪いようだが、具合はどうなのか?」
「今のようにストレスが大きい職種が本人の負担になっていないか?」
「本人の配置転換は症状の改善に効果があるか?」
そのようなことを訪ねてくれたようです。
こうして気遣いしてくれたことは、とても感謝しています。
今にして思えば職場に恵まれていたのです。
でも当時の私はそれがわかりませんでした。
「配置転換」という言葉が上司から出たことに大きくショックを受けてしまいました。
仕事って当時の自分にとってはとても大切なもので、会社の中でのポジションを失くしてしまうと人生の生きがいそのものを失くしてしまう・・・当時の私はそんなことを思っていました。
うつ状態のときにはとにかく自信がないのです。
頼りない自身を補強するために、「様々なもの」にしがみつきがおこります。
人によってはお酒だったり、ギャンブルだったり、得意なスポーツだったりするのですが、仕事にしがいついて
離れなくなることもよくあります。
仕事量をセーブして、リハビリをすればいいのですが、どうしても無理に仕事をすることによって自信を補強しようとするのです。
うつ状態になると、視野がどんどん狭くなります。
家族や職場の好意や親切にも背をむけてしまいがちです。
こうした視野の狭さも手伝って、結局私はうつ状態を長引かしていたのでした。
私は再度復帰を希望、また再度の復帰を果たします。
その16 再び体調を崩す
体調に不安を抱えながらも、私は仕事量を増やしていきました。
私は自ら志願してある大型の物件を追いかけ始めました。
かなり無理して動いていたと思います。
土曜日の休日も会社に内緒で出勤したりしておりました。
体調がよくないゆえの焦りだったと思います。
仕事に執着することで、自分の健康に対する不安をまぎわらそうとしていたのかもしれません。
また、仕事に集中している時間は確かに「のって」いたのかもしれません。
家に帰れば、グッタリとしていましたが・・・
ところで、自分が追いかけていた大型の物件ですが、運よく受注することができました。
その日にたまたま会社の宴会がありました。
大型の物件と契約できたというのに、全然嬉しくありません。
皆と一緒に飲んでいたのですが、全然楽しくありません。
ビールもおつまみも、全然おいしくありません。
なにか脱力してしまったというか、ぼぅっとしてしまったというか。
それどころか、だんだん気分が悪くなってきました。
そっと、目立たないように一人で宴席を後にしました。
私が2度目の休職をしたのはそれから間もなくのことでした。
その15 復帰はしたものの
休職してひと月で、職場に復帰を果たした私でしたが、いまひとつ「本調子ではないな・・・」と感じていました。新規の開拓の飛びこみ営業をやる気もなく、一日をダラダラと過ごすというか・・・
「新規獲得先の調査に行きます。」なんて言って、ターゲット先の県内のパチンコ屋を一日車で回るなんて、今にして思えば冗談みたいなことをやっていました。
「調査」と言っても、形ばかり。
実際の営業の役にたつはずもありません。
会議に出ても「ぼう」っとしてしまい、議題など頭に入ってきません。
当時の私に「うつからの回復にはリハビリ期間が必要」という知識はありませんでした。
復職して直後であるなら、元気なときの60%くらいしか回復していません。
仕事を十分にこなせるだけのエネルギーなどないのです。
しかし、当時の私はそれがわかりません。
「早く元気になって、業績をあげなければ・・・」
「このままの仕事ぶりでは今のポストを失ってしまう・・・」
当時、私は自分の状態に焦りを感じはじめていました。
「自分の体調があまりよくない」ということもありましたが、それ以上に私は営業マンとしてのポストを失うことが何よりも怖れていたのです。
その14 退屈な休養生活
私はひと月ほど休みをもらい休養することになりました。
医療機関を受診して薬をもらい、先生に尋ねます。
「休養期間中は何をすればいいのですか?」と私。
「ゴロゴロしてください」と先生。
「?」
「ゴロゴロって何をすればいいのだろう?」
私はちょっととまどってしまいました。
幸いにも薬は自分に合っていて、副作用に苦しむことはありませんでした。
でも一日何をすればいい?
最初の1週間は何もしないで寝ていることが嬉しかったのですが、10日くらいからから時間を持て余し始めました。
一日ぼんやりと家にいるのが辛くなってきたのです。
私は復帰を焦り始めました。
「はやく仕事に戻らなけらば、担当をはずされてしまう」
「自分の評価はどうなるのだろう?」
「自分のポストがなくなってしまう」
実際にはそんなことはなかったのでしょうけれど、やはり「うつ」というのは不安を増幅させてしまうのでしょう。
「考える必要のない不安」に悩みはじめます。
10日くらいたって、私は少し運動をはじめました。
午前中に30分くらいランニングをして、午後は買い物に行ったり、本屋に行ったりして、意識的に活動量を増やしていきました。
会社には「もう大丈夫、復帰できます」と連絡をいれ、予定どおりひと月たったところで復職させてもらうことにしました。
休職最後の一日、私は房総半島一周のドライブにでかけました。
復職前に少し体を動かしておこうと思ったのです。
ところが・・・
ドライブの途中で突然また気分が悪くなりました。
一月休んだはずなのに・・
十分休養したはずなのに・・・
明日から会社だというのに、また不安に包まれてしまいました。
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その13 「休む」という決心をする
カフェで調子を崩して以来、仕事が身に入りません。
もうこの時期になると、自分の心身の不調をごまかしきれなくなっていたのだと思います。
実は妻との死別後、心療内科で安定剤をもらっていた時期がありました。そんな経験から「うつ」というものについての知識はもっていました。
「うつなんだろうか・・・」
「思い切って休もうか・・・」
正直、仕事を休みたくはありませんでした。
でも、どうしても体がいうことをきかない。
なんだか疲れ切ってしまって、ぼうっとしてしまって自分の体なのに自分ではないというか・・・
私はまず、職場の信頼できる先輩に相談してみました。
「最近、体の調子が悪くて・・・うつかもしれません」
先輩は親身に相談にのってくれました。
そして、上司に相談してみるよう、アドバイスをくれました。
上司に不調を訴え、二人っきり面談してもらい、治療して休養することの許可をもらえたのはそれから間もなくのことでした。
「しっかりと治すように」
そう言ってくれた上司には今でも本当に感謝しています。