カウンセラーの語る死別の体験 うつの経験

千葉県船橋市にあるクライシスカウンセリング専門の相談室のブログです。

その15 復帰はしたものの

休職してひと月で、職場に復帰を果たした私でしたが、いまひとつ「本調子ではないな・・・」と感じていました。新規の開拓の飛びこみ営業をやる気もなく、一日をダラダラと過ごすというか・・・

 

「新規獲得先の調査に行きます。」なんて言って、ターゲット先の県内のパチンコ屋を一日車で回るなんて、今にして思えば冗談みたいなことをやっていました。

 

「調査」と言っても、形ばかり。

 

実際の営業の役にたつはずもありません。

 

会議に出ても「ぼう」っとしてしまい、議題など頭に入ってきません。

 

当時の私に「うつからの回復にはリハビリ期間が必要」という知識はありませんでした。

 

復職して直後であるなら、元気なときの60%くらいしか回復していません。

 

仕事を十分にこなせるだけのエネルギーなどないのです。

 

しかし、当時の私はそれがわかりません。

 

「早く元気になって、業績をあげなければ・・・」

 

「このままの仕事ぶりでは今のポストを失ってしまう・・・」

 

当時、私は自分の状態に焦りを感じはじめていました。

 

「自分の体調があまりよくない」ということもありましたが、それ以上に私は営業マンとしてのポストを失うことが何よりも怖れていたのです。

 

 

 その14  退屈な休養生活

私はひと月ほど休みをもらい休養することになりました。

医療機関を受診して薬をもらい、先生に尋ねます。

 

「休養期間中は何をすればいいのですか?」と私。

 

「ゴロゴロしてください」と先生。

 

「?」

 

「ゴロゴロって何をすればいいのだろう?」

 

私はちょっととまどってしまいました。

 

幸いにも薬は自分に合っていて、副作用に苦しむことはありませんでした。

 

でも一日何をすればいい?

最初の1週間は何もしないで寝ていることが嬉しかったのですが、10日くらいからから時間を持て余し始めました。

 

一日ぼんやりと家にいるのが辛くなってきたのです。

 

私は復帰を焦り始めました。

 

「はやく仕事に戻らなけらば、担当をはずされてしまう」

 

「自分の評価はどうなるのだろう?」

 

「自分のポストがなくなってしまう」

 

実際にはそんなことはなかったのでしょうけれど、やはり「うつ」というのは不安を増幅させてしまうのでしょう。

 

「考える必要のない不安」に悩みはじめます。

 

10日くらいたって、私は少し運動をはじめました。

 

午前中に30分くらいランニングをして、午後は買い物に行ったり、本屋に行ったりして、意識的に活動量を増やしていきました。

 

会社には「もう大丈夫、復帰できます」と連絡をいれ、予定どおりひと月たったところで復職させてもらうことにしました。

 

休職最後の一日、私は房総半島一周のドライブにでかけました。

復職前に少し体を動かしておこうと思ったのです。

 

ところが・・・

 

ドライブの途中で突然また気分が悪くなりました。

 

一月休んだはずなのに・・

 

十分休養したはずなのに・・・

 

明日から会社だというのに、また不安に包まれてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  その13 「休む」という決心をする

カフェで調子を崩して以来、仕事が身に入りません。

 

もうこの時期になると、自分の心身の不調をごまかしきれなくなっていたのだと思います。

 

実は妻との死別後、心療内科で安定剤をもらっていた時期がありました。そんな経験から「うつ」というものについての知識はもっていました。

 

「うつなんだろうか・・・」

 

「思い切って休もうか・・・」

 

正直、仕事を休みたくはありませんでした。

でも、どうしても体がいうことをきかない。

 

なんだか疲れ切ってしまって、ぼうっとしてしまって自分の体なのに自分ではないというか・・・

 

私はまず、職場の信頼できる先輩に相談してみました。

 

「最近、体の調子が悪くて・・・うつかもしれません」

 

先輩は親身に相談にのってくれました。

 

そして、上司に相談してみるよう、アドバイスをくれました。

 

上司に不調を訴え、二人っきり面談してもらい、治療して休養することの許可をもらえたのはそれから間もなくのことでした。

 

「しっかりと治すように」

 

そう言ってくれた上司には今でも本当に感謝しています。

 

その12  ポッキリと折れる。

あれは、夏の暑いでした。

私はオフィスビルにあるコーヒーショップでコーヒーを飲みながら、同僚と仕事の打ち合わせをしておりました。

 

打ち合わせは滞りなく進み、談笑していたところ、突然気分が悪くなったのです。

 

グッと胸がつかえるというか・・・

一瞬目の前が真っ暗になりました。

 

私は急に話をするのが苦しくなり、その場にいることが辛くなりました。

 

会話の途中で突然「ゴメン、帰る」と言って怪訝そうな顔をする同僚を置いて、一人でいられる場所を探しに出かけました。

 

オフィスビルの前にはちょっとした公園があり、そこの日陰のベンチでぼんやりとしていました。なんだか冷や汗が流れてきています。

 

普段「人と接すること」には慣れているはずの自分、「なぜ急に対人恐怖症みたいになってしまったんだろう・・・」

 

自分のことなのに驚いてしまいました。

突然コントロール感覚を失くしてしまったというか・・・

 

すこし気分が落ちついても、夕方までベンチでぼんやり過ごし、それから帰社し、ほうほうのていで家に帰りました。

 

この出来事が私の「うつとの闘い」の始まりだったのです。

 

その11 ムキになって仕事をする

げっそりと痩せてしまったのは、自分でも知らない間に「うつ状態」に入ってしまっていたのかもしれません。

 

でも、私は別に気に留めるのでもなく、しゃかりきに仕事をしておりました。

 

普段以上に飛び込み営業の件数を増やし、難易度の高い物件に挑戦し・・・

 

やはり悔しかったのだと思います。

 

体力も気力も落ちていたのでしょうが、自分でもそれは感じません。

 

妙に攻撃的になり、なにかギラギラしている感じで、主観的には「ノッている」感じがしました。

 

闘争本能が全面に出てくるというか・・・

 

 

 

心身の疲労が蓄積してくると「疲れ」を感じる知覚がマヒしてくることがあるそうですね。

 

実際は疲れているのに、クタクタになっているのに、それを感じることができない。

 

しかし感じていなくても、実際には疲労が溜まっているのですから、いつまでごまかし続けることはできません。

 

ポッキリと折れてしまう時がやってきました。

その10  げっそりと痩せる

子会社への転籍の命令にも、私は淡々としていたと思います。

 

「負けるが勝ち」というかなんというか・・・「怒り」をあらわにするでもなく、

「不安」にさいなやまされることもなく、比較的穏やかな日々を過ごしていたかもしれません。

 

ある日、会社から「転籍についての説明会」がありました。

そこに出かけていった私は久しぶりにお世話になっていた先輩にお会いしました。

先輩の第一声はひとこと・・・

 

「お前、ずいぶん痩せたな。どこか悪いのか?」

 

「えっ!」と思いました。

自分では全然自覚がなかったのです。

 

食事は普段通り食べているし(人並み以上に食べていた)、何か具体的な体調不良があったわけではなし・・・

 

とても意外な気がしましたが、言われてみると「そうかな」という感じでした。

 

心身の不調は自分自身ではなかなか気がつかないもの。

 

今にして思えば、それが「うつ」の第一歩だったかもしれません。

その9  いきなりの転籍命令

6月のある朝、出勤してみるとオフィスのみんなが集まってひとつの新聞を眺めています。

 

「どうしたんですか?なにかニュースでも?」

 

先輩が無言である記事を指さしました。

 

するとそこには「現在子会社に出向中の社員をすべて子会社に転籍の扱いとする」との記事が・・・

 

私は「出向」という形で子会社にて勤務しておりました。しかし「転籍」しろというのです。

 

子会社に転籍となれば、当然給料もさがってしまうし、福利厚生変わってしまいます。

 

サラリーマンにとって本当に大事件なのに、事前に在籍している親会社からなんの説明もなく、新聞記事にてあたかも「決定事項」として発表されていたのです。

 

記事を見たときは、案外と冷静でした。

 

「うまくやられたなあ」と。

 

「これはだまし討ちだ」「断固抗議する」と怒りを露にする人も多数いましたが、新聞記事がでてきたところで「これは負けだな」と感じていたのです。

 

「親会社と子会社の給料の差額5年分を退職金として先渡しする」という条件もあり、「ここは無駄な抵抗をせずにもらえるものだけもらってしまおう」という腹づもりでした。

 

組合も、結局転籍には反対せず。

「条件闘争」にて会社と交渉するとのこと。

組合の役員も板挟みになり苦しかったと思います。