カウンセラーの語る死別の体験 うつの経験

千葉県船橋市にあるクライシスカウンセリング専門の相談室のブログです。

  その13 「休む」という決心をする

カフェで調子を崩して以来、仕事が身に入りません。

 

もうこの時期になると、自分の心身の不調をごまかしきれなくなっていたのだと思います。

 

実は妻との死別後、心療内科で安定剤をもらっていた時期がありました。そんな経験から「うつ」というものについての知識はもっていました。

 

「うつなんだろうか・・・」

 

「思い切って休もうか・・・」

 

正直、仕事を休みたくはありませんでした。

でも、どうしても体がいうことをきかない。

 

なんだか疲れ切ってしまって、ぼうっとしてしまって自分の体なのに自分ではないというか・・・

 

私はまず、職場の信頼できる先輩に相談してみました。

 

「最近、体の調子が悪くて・・・うつかもしれません」

 

先輩は親身に相談にのってくれました。

 

そして、上司に相談してみるよう、アドバイスをくれました。

 

上司に不調を訴え、二人っきり面談してもらい、治療して休養することの許可をもらえたのはそれから間もなくのことでした。

 

「しっかりと治すように」

 

そう言ってくれた上司には今でも本当に感謝しています。

 

その12  ポッキリと折れる。

あれは、夏の暑いでした。

私はオフィスビルにあるコーヒーショップでコーヒーを飲みながら、同僚と仕事の打ち合わせをしておりました。

 

打ち合わせは滞りなく進み、談笑していたところ、突然気分が悪くなったのです。

 

グッと胸がつかえるというか・・・

一瞬目の前が真っ暗になりました。

 

私は急に話をするのが苦しくなり、その場にいることが辛くなりました。

 

会話の途中で突然「ゴメン、帰る」と言って怪訝そうな顔をする同僚を置いて、一人でいられる場所を探しに出かけました。

 

オフィスビルの前にはちょっとした公園があり、そこの日陰のベンチでぼんやりとしていました。なんだか冷や汗が流れてきています。

 

普段「人と接すること」には慣れているはずの自分、「なぜ急に対人恐怖症みたいになってしまったんだろう・・・」

 

自分のことなのに驚いてしまいました。

突然コントロール感覚を失くしてしまったというか・・・

 

すこし気分が落ちついても、夕方までベンチでぼんやり過ごし、それから帰社し、ほうほうのていで家に帰りました。

 

この出来事が私の「うつとの闘い」の始まりだったのです。

 

その11 ムキになって仕事をする

げっそりと痩せてしまったのは、自分でも知らない間に「うつ状態」に入ってしまっていたのかもしれません。

 

でも、私は別に気に留めるのでもなく、しゃかりきに仕事をしておりました。

 

普段以上に飛び込み営業の件数を増やし、難易度の高い物件に挑戦し・・・

 

やはり悔しかったのだと思います。

 

体力も気力も落ちていたのでしょうが、自分でもそれは感じません。

 

妙に攻撃的になり、なにかギラギラしている感じで、主観的には「ノッている」感じがしました。

 

闘争本能が全面に出てくるというか・・・

 

 

 

心身の疲労が蓄積してくると「疲れ」を感じる知覚がマヒしてくることがあるそうですね。

 

実際は疲れているのに、クタクタになっているのに、それを感じることができない。

 

しかし感じていなくても、実際には疲労が溜まっているのですから、いつまでごまかし続けることはできません。

 

ポッキリと折れてしまう時がやってきました。

その10  げっそりと痩せる

子会社への転籍の命令にも、私は淡々としていたと思います。

 

「負けるが勝ち」というかなんというか・・・「怒り」をあらわにするでもなく、

「不安」にさいなやまされることもなく、比較的穏やかな日々を過ごしていたかもしれません。

 

ある日、会社から「転籍についての説明会」がありました。

そこに出かけていった私は久しぶりにお世話になっていた先輩にお会いしました。

先輩の第一声はひとこと・・・

 

「お前、ずいぶん痩せたな。どこか悪いのか?」

 

「えっ!」と思いました。

自分では全然自覚がなかったのです。

 

食事は普段通り食べているし(人並み以上に食べていた)、何か具体的な体調不良があったわけではなし・・・

 

とても意外な気がしましたが、言われてみると「そうかな」という感じでした。

 

心身の不調は自分自身ではなかなか気がつかないもの。

 

今にして思えば、それが「うつ」の第一歩だったかもしれません。

その9  いきなりの転籍命令

6月のある朝、出勤してみるとオフィスのみんなが集まってひとつの新聞を眺めています。

 

「どうしたんですか?なにかニュースでも?」

 

先輩が無言である記事を指さしました。

 

するとそこには「現在子会社に出向中の社員をすべて子会社に転籍の扱いとする」との記事が・・・

 

私は「出向」という形で子会社にて勤務しておりました。しかし「転籍」しろというのです。

 

子会社に転籍となれば、当然給料もさがってしまうし、福利厚生変わってしまいます。

 

サラリーマンにとって本当に大事件なのに、事前に在籍している親会社からなんの説明もなく、新聞記事にてあたかも「決定事項」として発表されていたのです。

 

記事を見たときは、案外と冷静でした。

 

「うまくやられたなあ」と。

 

「これはだまし討ちだ」「断固抗議する」と怒りを露にする人も多数いましたが、新聞記事がでてきたところで「これは負けだな」と感じていたのです。

 

「親会社と子会社の給料の差額5年分を退職金として先渡しする」という条件もあり、「ここは無駄な抵抗をせずにもらえるものだけもらってしまおう」という腹づもりでした。

 

組合も、結局転籍には反対せず。

「条件闘争」にて会社と交渉するとのこと。

組合の役員も板挟みになり苦しかったと思います。

 

 

 

 

その8 子会社へ出向する

ボチボチと仕事をしていたある日、辞令がおりました。

 

新しく発足された子会社に出向するようにということでした。

 

出向先の部署は清涼飲料水自動販売機の新規開拓担当。

飛び込みをメインに自動販売機の設置先を増やしていく仕事です。

 

出向したと同時に、私はかなり意欲的に仕事に取り組みはじめました。

 

新規開拓担当は長い間希望していた部署であり、出向先とはいえ、自分の希望がかなったのです。

 

出社後、朝8時には会社を出発、飛び込みを一日30軒から40軒くらいはこなしていたでしょうか。

 

商品パンフレットを入れたカバンだけをもち、オフィスやら商店街やらを一日歩きながら訪問します。

 

帰社後に見込み客の整理をしたり、企画書を作成してみたり・・・

 

体力的には大変で忙しい毎日でしたが、気持ちに張りがあり、充実した日々を送っておりました。

 

一生懸命やっていれば営業成績も自然とあがってきます。

 

妻との死別後、やっと充実した日々がめぐってきたことを感じていました。

 

ところがある日、予想もしていなかった大きな事件がありました。

 

それはサラリーマン生活を一変させる出来事でした。

 

 

その7  反射の鈍さ 反応の遅さ

話は少しさかのぼります。

 

妻を亡くしてひと月ばかりしたときでしょうか。

職場に復帰することになりました。

 

会社が親切に配慮してくれて、それまでの繁忙な部署から、時間の自由がきき定時には帰れる部署に配置換えとなりました。

 

朝、出勤していてぼおーっとしていることが多くなりました。

 

コーヒーメーカーからコーヒーを淹れ、机に座っていてもぼーっとしてしまう。

「おーい」と呼ばれても、すぐには返事ができない。

 

今一つ反射神経が鈍ったというか、反応が遅いというか・・・・

 

「いつもボーっと座っている」ということで上司の評価はさんざんでしたが、今にして思えば、妻の死後ひと月たって、知らず知らずのうちに疲労を溜めていたのかもしれません。

 

うつのばあい、まず身体の不調から現れることもあるそうです。

 

耳鳴り

 

頭痛

 

複数

 

肩こり

 

腰痛

 

などなど

 

その症状の現れ方は人それぞれです。

 

今にしておもえば、こうした「反射の鈍さ」とか「反応の遅さ」などが最初のうつの兆候だったかもしれません。

 

もっとも私はそんなことなど思ってもみなかったのですが。