その5 遺品を整理する
四十九日が終わるまで、妻と住んでいた家はそのままにしておきました。
が、もうすでに実家に帰ってきているので、そのまま維持しておくわけにはいきません。ローンも残っていたし、「住んでいない家のローンを払い続ける」ことは経済的にも大きな負担となってきていました。
結局、家は処分しなければなりません。
そのために、家財道具の一切合切を処分する必要がありました。
部屋の灯り
鏡台
テーブル
食器棚
書籍
などなど
すべてを処分して、部屋がからっぽになったときはさすがに胸に迫るものがありました。「夫婦の思い出」も一緒に処分したような気分だったのです。
でも、今にしておもえば、それでよかったのだと思います。
遺品を処分したときにはいろいろ思うことがありましたが、あのとき思い切ったからこそ、「妻の死」という現実を受け入れることができたのであるし、新しい生活を始めるふんぎりをつけられたのだと思います。
遺品はすべて処分するのではなく、なにか大切なものはひとつかふたつは残しておかねばならないそうですね。
私が残したものは、写真と妻のサングラス。そして妻が持ち歩いていたカバン。
今ではほとんど遺品を眺めることはありませんが・・・
その4 子供の夜泣き
当時、子供は3歳と1歳でした。
3歳の長男は昼間は保育園に行きます。
毎日、保育園の入り口で大泣きしていました。
今までとはガラリと環境が変わってしまう。
優しかったママにはもう会えない。
長男にとって大きなストレスがかかっていたと思います。
私も、仕事に明け暮れた生活が一変しました。
当時毎日定時退社し、毎晩、長男と次男を寝かしつけておりました。
寝付くまで、添い寝して絵本を読んでやるのです。
そんなとき、長男が突然泣き出します。
「ママにあいたいよぉ」
子供に泣かれるのが、何よりも辛かった。
なんとかしてやりたくとも、どうにもできないのですから。
そのまま寝付くまで傍にいてやることしかできなかったのです。
当時、私の両親も、義理の父母も、義妹夫婦も、私の親戚や友人たちまでがみんな子供二人に目をかけ声をかけてくれました。
「ママはいなくなったけど、周りの大人たちはそのまま残っている。」
「そして自分をかわいがってくれる」
こうした安心感は息子たちにあったのだと思います。
それが大きな支えになりました。
そんな息子たちも今は20歳と18歳。
よく笑い、よく食べ、よく遊んでいます。
あの頃は確かに辛かった。
でも子供なりに死別の悲しみを消化し、乗り越えてきたのだと思います。
時間はやはり大きな薬になります。
それ以上に周囲の大人たちのサポートが大きかった。
特別なことをするのではなく見守るだけでいいのです。
たとえ片親でも周囲の大人たちが暖かく見守っていれば子供はしっかり育ちます。
その3 感情の麻痺
葬儀が終わり、初七日が過ぎると私は精力的に動き始めました。
まず、仕事をどうするか?
子供たちをどう育てる?
役所や会社やら保険の手続きは?
持ち家をどうする?
お墓は?
会社とこれからのことを相談し、役所にでかけ、不動産屋に相談し、私は毎日をかなり活動的に過ごしました。一日を
精力的に動いいていると、「悲しい」とか「寂しい」とかいう気持ちを忘れることができるんですね。
そのときは「悲しんでいる暇はない」とか「案外自分も前向きだな」と思っていたのですが、今にして思えばここが「落とし穴」でした。
人は大きな衝撃を受けると、自分の感情を麻痺させて事態を乗り切ろうとすることがあります。「悲しみを感じない」状態はこの「感情の麻痺」が働いていたんですね。
当時は本当に必死で、「麻痺」させることでピンチを乗り越えようとしていたのでしょう。
あのときは仕方がなかった。
でもこのときの「無理」が数年後に出てくることになったのだと思います。
その2 他力を借りる
当時の私は本当に周囲の人々に恵まれていたと思います。
私は子供を連れて実家に帰ることにしました。
それまでの間、まだ幼かった息子二人は、少しの間、妻の実家で預かってもらうことになりました。
役所に行っていろいろな手続きをしたり、引っ越しのための準備をしたりしている間、義父母が子供たちにミルクを飲ませ、おしめを替えてくれました。
会社は事情を考慮していただき、定時に仕事を終えられる部署に異動させてくれるとの話をいただきました。
この時ほど「人の情けのありがたさ」を感じたことはなかった。
それまで自分は「自分のことはすべて自分でやるべし」と考えていました。
でも本当はそうではない。
「本当に苦しいときには人の助けを借りてもいいのだ」ということが、このときにはじめてわかったのだと思います。
もしもこの時、何事もすべて自分ひとりで解決しようとしたら、生活は破綻していたかもしれません。
その1 妻の死
「誰かと死に別れる」こと以上の悲しみはこの世にはないのではないでしょうか?
もう17年くらい前になりますか、私も妻と死に別れた経験があります。
私は当時36歳。働き盛りのころでした。妻と一緒に二人の子を育て、マンションを買い、「人生だいぶ落ち着いてきたな」と感じ始めた矢先のことでした。
誰かを亡くしてしまうと、その日を境にして、自分をとりまく世界が一変してしまいます。
たった一日を境にして、妻が元気で、ニコニコと笑っていた日々とは全く違った世界を生きることになるのです。
『その段差』はあまりにも大きく、寂しさ、くやしさ、怒り、後悔、さまざまな感情がいちどきに押し寄せてきます。しかし時間を巻き戻すことは決してできません。
でも、いつまでも悲しんでいることもできないのです。
当時子供は3歳と1歳。
二人ともおしめがとれていませんでした。
「仕事に行っているあいだは誰が子供を見る?」
「離乳食やミルクはどうする?」
「おしめをどうする?」
「そもそも仕事を続けられる?」
葬儀が終わると「日常」がもどってきます。
仕事や住居、子育て、人生の目標など、いちどきに見直さなければ
ならなくなってしまいます。
日々の生活をどうするか?
私はまずそこから考えなければならなかったのです。