カウンセラーの語る死別の体験 うつの経験

千葉県船橋市にあるクライシスカウンセリング専門の相談室のブログです。

その5 遺品を整理する

四十九日が終わるまで、妻と住んでいた家はそのままにしておきました。

 

が、もうすでに実家に帰ってきているので、そのまま維持しておくわけにはいきません。ローンも残っていたし、「住んでいない家のローンを払い続ける」ことは経済的にも大きな負担となってきていました。

 

結局、家は処分しなければなりません。

 

そのために、家財道具の一切合切を処分する必要がありました。

 

部屋の灯り

鏡台

テーブル

食器棚

書籍

などなど

 

すべてを処分して、部屋がからっぽになったときはさすがに胸に迫るものがありました。「夫婦の思い出」も一緒に処分したような気分だったのです。

 

でも、今にしておもえば、それでよかったのだと思います。

 

遺品を処分したときにはいろいろ思うことがありましたが、あのとき思い切ったからこそ、「妻の死」という現実を受け入れることができたのであるし、新しい生活を始めるふんぎりをつけられたのだと思います。

 

遺品はすべて処分するのではなく、なにか大切なものはひとつかふたつは残しておかねばならないそうですね。

 

私が残したものは、写真と妻のサングラス。そして妻が持ち歩いていたカバン。

今ではほとんど遺品を眺めることはありませんが・・・

 

 

 

 

 

 

その4  子供の夜泣き

妻を亡くしたとき、子供は3歳と1歳でした。

 

3歳の長男は昼間は保育園に行きます。

毎日、保育園の入り口で大泣きしていました。

 

今までとはガラリと環境が変わってしまう。

優しかったママにはもう会えない。

 

長男にとって大きなストレスがかかっていたと思います。

 

私も、仕事に明け暮れた生活が一変しました。

 

当時毎日定時退社し、毎晩、長男と次男を寝かしつけておりました。

寝付くまで、添い寝して絵本を読んでやるのです。

 

そんなとき、長男が突然泣き出すのです。

 

「ママにあいたいよぉ」

 

子供に泣かれるのが、何よりも辛かった。

 

なんとかしてやりたくとも、どうにもできないのですから。

そのまま寝付くまで傍にいてやることしかできなかったのです。

 

 

 

 

その3  感情の麻痺

「妻と死に別れて、悲しみに暮れていたか」というと案外そうではなかったような気がします。

 

まず、仕事をどうするか?

 

子供たちをどう育てる?

 

役所や会社やら保険の手続きは?

 

持ち家をどうする?

 

お墓は?

 

葬儀のあとはすぐに現実が迫ってきます。

当時私は相当精力的に動いていたと思います。

 

精力的に動いいていると、「悲しい」とか「寂しい」とかいう気持ちを忘れることができるんですね。

 

そのときは「悲しんでいる暇はない」とか「案外自分も前向きだな」と思っていたのですが、今にして思えばここが「落とし穴」でした。

 

人は大きな衝撃を受けると、自分の感情を麻痺させて事態を乗り切ろうとすることがあります。「悲しみを感じない」状態はこの「感情の麻痺」が働いていたんですね。

 

当時は本当に必死で、「麻痺」させることでピンチを乗り越えようとしていたのでしょう。

 

あのときは仕方がなかった。

でもこのときの「無理」が数年後に出てくることになったのだと思います。

 

 

その2 他力を借りる

当時の私は本当に周囲の人々に恵まれていたと思います。

 

私は子供を連れて実家に帰ることにしました。

 

それまでの間、まだ幼かった息子二人は、少しの間、妻の実家で預かってもらうことになりました。

 

役所に行っていろいろな手続きをしたり、引っ越しのための準備をしたりしている間、義父母が子供たちにミルクを飲ませ、おしめを替えてくれました。

 

この時ほど「人の情けのありがたさ」を感じたことはなかった。

 

それまで自分は「自分のことはすべて自分でやるべし」と考えていました。

 

でも本当はそうではない。

 

「本当に苦しいときには人の助けを借りてもいいのだ」ということが、このときにはじめてわかったのかもしれません。

その1  妻の死

「誰かと死に別れる」こと以上の悲しみはこの世にはないのではないでしょうか?

 

寂しさ、くやしさ、怒り、後悔、さまざまな感情がいちどきに押し寄せてきます。

それだけではなく、仕事や住居、子育て、人生の目標など、いちどきに見直さなければ

ならなくなってしまいます。

 

もう17年くらい前になりますか、私も妻と死に別れたことがあります。

私は当時36歳。働き盛りのころでした。

 

当時子供は3歳と1歳。

 

二人ともおしめがとれていませんでした。

 

悲しんでいるばかりではいられません。

 

「子供をどうする?」

 

「仕事に行っているあいだは誰が見る?」

 

「離乳食やミルクはどうする?」

 

「おしめをどうする?」

 

そもそも仕事を続けられる?」

 

葬儀が終わると「日常」がもどってきます。

 

日々の生活をどうするか?

まずそこから考えなければならなかったのです。